Suguro Takashi
大阪から熊野へ 「熊野街道ウォーキング」 ~その四、浅香山から???~

接下來的內容是另外一天.
從南海電鐵公司的淺香山站附近出發.
さて、日を改めてここからは次の日。
南海電鉄、浅香山駅南側から出発します。

首先路過的是"境王子"的遺跡.
就像說明板介紹那樣,
有石碑的位置並不是有過"境王子"的正確的位置.

まず通りかかったのは
「境王子」跡です。
説明板にあるように、
石碑の場所が正確な王子のあった場所ではありません。
不過,想像當時的情景,就是走古街道的一個妙趣.
沒有想像力,看過去歷史太沒有滋味了.
でも、当時の情景を想像するのが古道を歩く醍醐味の一つ。
想像力がないと、味気ないものになってしまいます。


如今是這樣的住宅區,
不過,過去到了這邊,
是不是很難看到人呢?
今は住宅地ですが、
当時はこの辺りまで来ると
人家もまばらだったのでは?
再走一會,走道"方違神社".
もうしばらく行くと方違神社に出ます。


此地是滠津,河內,和泉三個區域的交界處,
因此被稱"三國山""三國丘"等,
說是沒有方向的聖地.

摂津、河内、和泉の交わるこの地は、
「三国山」「三国丘」とも呼ばれて、方角のない聖地とされていたそうです。

當時去熊野的人會路過這裡,
他們有時候在這所神社休息,
祈禱一路平安.
現在也有人要搬家,新建房子,出去旅遊時,
會到這所神社來拜神.

当時熊野詣の人々も
ここを通ったので、
休んだり旅の安全を願ったりしたそうです。
今でも引越、新築、旅行などの際
多くの人が
この神社にお参りに来ます。

神社的南面可以看到池子裡的小山.這是反正天皇的陵墓.

神社の南に池の中の丘のようなものが見えます。
これが、反正天皇陵です。

從方違神社到反正天皇陵的正面,
堺市設置了各種路標.
很容易找到路.
不會走錯.

方違神社か反正天皇陵正面までは
堺市がいろいろと道しるべを
設置してくれています。
探しやすいですし、
迷うこともありません。
反正天皇陵的正面.果然是宮內廳管理這座陵墓.


反正天皇陵の正面。やはり宮内庁の管理になります。

繼續往南走,
中途會路過
竹內街道和西高野街道的交叉處.

さらに南に進むと
竹内街道と西高野街道の
交差するところも通ります。

その先さらに行くと大通りに出ます。
中央環状線です。
陸橋の脇に熊野街道の表示も。

再往前走,會走到大馬路,
這是中央環狀線.
旁邊還有熊野街道的標誌.

從天橋上看北面,在遠遠的地方可以看到安倍野HARUKASU.
陸橋か北を望むと、はるか遠くにあべのハルカスが見えます。

そして南側の小山は・・・ついに仁徳天皇陵到着です。
南面的小山是•••終於到了仁德天皇陵了!