Suguro Takashi
日本橋から品川へ 「東海道」ウォーキング ~日本橋周辺~


如今,上面有高速公路的高架,
完全沒有過去的樣子了,
如果沒有“日本橋”三個字 ,
很多人不會在意這是甚麼地方.

今ではすぐ上を高速が走り、
全く昔の面影がありません。
「日本橋」の文字がなければ、
ここがどこか、気に掛ける人も
多くはないでしょう。


不愧是東海道的出發點,
旁邊有個石碑,介紹日本橋.
さすが東海道の出発地点、
そばには日本橋を説明する
石碑があります。

説明によると
日本橋は1603年に徳川幕府によってかけられ、
現日本橋は1911年に
東京市によってかけられたそうです。
根據說明板,最早1603年由於德川幕架了這個橋梁。
現在的橋樑是由於東京市,1911年架的.

今回、急に決めたので、
ガイドブックも何もなく、
どうしようかと思っていると、
すぐ横に案内所がありました。
因為這次突然決定的,
所以沒有關資料,
在想怎麼解決才好的時候,
在旁邊發現觀光資訊所.


案内所の中にも日本橋の説明があります。
しかしここには東海道のルート地図はありませんでした。
そこで、案内所の方がパソコンでルートを調べてくれました。
品川までは一本道、まず迷うことはなさそうです。
案內所裡面還有日本橋的介紹.
不過這裡沒有東海道的路線地圖.
這裡的工作人員幫我在網上查,告訴我去品川的線路.
其實就是一條路,看來不會走錯路.

まずは日本橋周辺の写真を撮って
出発することに。
筆頭は有名な獅子と麒麟の像。
今では日本橋の象徴ですが、
400年前はもちろんありません。
400年後には
どうなっているんでしょうねえ。

首先拍拍周圍的有特色的地方,
然後從這裡開始走路.
這裡最有名的是獅子像和麒麟像.
如今這些像成為日本橋的象徵,
不過400年前,這些都不存在.
400年後,
這裡會有什麼樣的東西呢.

きっと、
日本橋川を流れる水の色も
400年前とは違うのでしょう。
日本橋川的流水的顏色,
可能和400年前不一樣.


日本橋北面有
日本橋魚河岸(魚市場)
發祥之地的石碑
根據說明板,
1923年的關東大地震後
這裡的魚市場搬到現在的
築地市場那裡去了.

日本橋の北には
日本橋魚河岸発祥の地
の石碑があります。
説明文によれば
1923年の関東大震災以降、
現在の築地に
移ったのだそうです。

そして、
魚河岸発祥の碑と道路を挟んで
向かいには
東京市道路元標が建っています。
隣の里程標には、
ここから全国各地への
距離が記されています。
北側の地名が
一つもないのは
なぜでしょうか?

隔著大馬路
在魚市場發祥之地的石碑對面
有東京市道路元標,
旁邊的石碑上刻著
從這裡到各個城市的距離.
為甚麼沒有北方的地名呢?
さて、日本橋周辺のスポットはこれくらいだろうと、
いざ、品川に向けて出発。
我以為日本橋周圍的東西差不多了,就前往品川出發了.

と、100メートル程で書店発見、
やはりガイドを買うことに。
開始走路不到100米,發現書店,
我決定還是要買一本相關資料.
さっそく見てみると、
日本橋周辺にはもう一つ説明書きが!
「密通の男女、心中未遂者が晒された滝の広場」
一応写真を撮っておこうと100メートル引き返すことに。
看看書上的介紹,
關於日本橋周圍,還有一個地方有介紹!
‘ 婚外私通的男女,情死未遂的人,公開懲罰的地方,瀧廣場’
我想拍拍幾張照,就會走100米的路.

先ほど気にかけていなかった
この広場でした。
昔は「密通」、今は「不倫」、
こういう話題は時代を問わず、
大衆の大好物なのでしょう。
広場には
魚河岸の石碑も

原來是剛才沒注意的這公園.
以前叫‘密通’,現在叫‘不倫’
不關過去還是現在,
這種話題是可能群眾最愛的.
在廣場,
還有魚市場的石碑.
では、品川目指して出発です。
那麼,前往品川,出發了!